残りの人生における重大イベント。№1「死!編」 [#145]

佐藤キナコ48歳!生きてます!でもこの所(いや!昔からだ)やる気が全く出ません。生きるのが面倒で仕方がありません。
あと、あまりに真面目に自粛していたせいなのか、筋肉も落ちてしまい、老人化が進みました。背筋を伸ばして座っているだけで疲れます。これって結構ヤバミな状態では!?

喝!を入れる(?)つもりで、残りの人生について(不確実でありながらも)考えてみました。
※「最後のとき」から「現在」への時間軸で書いてゆきます。

「自身(佐藤キナコ)の死」

人にとって、必ず、平等に、訪れる、一大イベントは「死」だと思います。みんなそこに向かって一生懸命に、前に進んでいるかと思うと、切なくなりますね。
私は「死」は凄く怖いです。この歳になっても、時々その恐怖が押し寄せ「わあああああ~!!!」と夜中に悲鳴のような声を出したりします。「死」という現象を認知できる限り、自分自身を失う恐怖を感じない人は居ない。勝手にそう考えていましたが、むかし読み漁った「河合隼雄」の本には「死への恐怖心を強く持っている人と、あまり感じない(考えない)人が居る」というような事が書かれていて凄く興味深かったです。確か河合隼雄氏にはお兄さんが居て、お兄さんは死を恐れていないように思ったとありました。(スイマセン。読んだのが昔過ぎてうろ覚えです。間違っていたらどうしよう!)あなたはどうですか?「自身の死について考えることは多いですか?」

最近たまたま見たネット記事で「養老孟司」が書いていましたが、『死ぬのは怖くない。あなたは寝る時いちいち恐怖心を抱くのですか?眠るという行為は意識を失うという面もあり、そのまま目が覚めなければ死と同じ』と書かれていました。こうも続いていて『私がコロナウイルスに感染したくないのは病院に入りたくないからだ』養老先生は死ぬより、入院の方が嫌なんでしょうね。少し分かる気もします。死への無駄な恐怖心を収める事が出来ないまま年を重ねていたので、この養老先生の言葉は単純でありながら、少し心を楽にしてくれました。あれだけ死体と向き合ってきた人が「死ぬのは寝るのと同じ」と言うのだから、きっとそうなんでしょう!

産まれてくるときは言葉は悪いですが「勝手に産み落とされた」という感じですが、死ぬのはそうはいきません。なかなか大変です。いつその時がくるか、誰も分かりませんしね。静かに一人で死んだだけなのに、発見が遅れるとその場が「事故物件」となってしまい多大な迷惑をかけたり・・・
私達が死を迎える頃、介護体制とかどうなってるんでしょうね?人手不足だから本当に姥捨て山に捨てられちゃうかも!笑えないけど~。私の予想では、元気な老人が介護士として働いて、元気のない老人をみる「老老介護」。日本人は嫌がるので「外国人介護士」に面倒みてもらう。そんな感じでしょうか?日本人はもっと外国人労働者の方々を大切にしないと駄目ですよね。
こういう事を考えていると、日本も「安楽死」についてもっと議論が行われる事を望んでしまいます。現状、自分の死をコントロールするのが「自死」しかないので・・・「安楽死」と「自死」は似て非なるものですから。

なんだか勢いに任せて、沢山書いてしまいましたが、佐藤はどう考えても「長生き」できる気はしないです。日本人は長寿だと言われてますが、「健康寿命」で考えるとどうなんでしょうね。ひとり者なので、最後施設に入りたいと思ったら、そういった手続きも自分でやるしかないと思うと、我ながら大変な老後だぞ!ぼお~としてるんじゃないよ!と自分に言いたいですね。
あくまでも希望で、どうにも出来ない事だけど、私はポックリ行きたくないです。何故なら準備が出来ないから。猫のこともありますしね。じわじわと死にたいです。だからこそコロナウイルスには意地でも感染したくないですね~。
あなたは死ぬのは怖いですか?そんな議論が実生活で出来たら面白いのにね!こんな話はなかなか出来ないです(笑)。

🌼「自身の死」の章、まとめ!
老いからは逃れられないし、いつか死ぬ。でも出来る限りの「無理をしない」という努力をして、ポックリいかないように頑張る!
無駄に思えるような準備も進んでやっていこう!
そして「老後って全然!楽でも暇でもなさそうですよ!」やりたい事、楽しい事、1歳でも若いうちにやっておこう♪

本当は死から現在まで全部書くつもりでしたが、「死」の章だけで、やたら長くなったので、次に続きま~す。
ではまたね~😊

 

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